槙原寛己の完全試合

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槙原寛己が完全試合を達成した福岡ドーム

槙原寛己の完全試合(まきはらひろみのかんぜんじあい)は、1994年5月18日福岡ドームで行われたプロ野球セントラル・リーグ読売ジャイアンツ広島東洋カープ7回戦において、槙原寛己が記録した完全試合を取り上げる。

内訳は三振7、内野ゴロ11、内野フライ3、ファウルフライ3、外野フライ3で投球数は102球[1]

概要[編集]

読売ジャイアンツに所属していた槙原寛己1994年5月18日に日本プロ野球では今井雄太郎阪急ブレーブス[2]以来16年ぶり、史上15人目となる完全試合を記録した。

完全試合達成前のエピソードとして試合開始直前に槙原に謎の電話が掛かってきた。福岡ドームに電話が入り「至急連絡が欲しいので、この番号に電話して下さい」と電話番号を書いたメモを渡された。誰かに不幸があったのかと恐る恐る電話を入れてみると、相手は槙原の大ファンであり、「今日はいいピッチングをして下さい。期待してます」と励まされた。その時に登板前の緊張感が消えていったという[3]。一方、二宮清純との対談で前々日に門限を破って中洲へ呑みに行ったところ堀内恒夫投手コーチに見つかってしまい、外出禁止解除を賭けて試合に挑んだということを槙原本人が語っている[4]

序盤は速球主体でストライクを先行させる投球で、7回以降はスライダーフォークを決め球に使う投球に切り替えた。試合終了後のインタビューでは「もう、なんか夢の中ですね。本当にね、あの、ピッチャーやった人はみんな憧れるものですから。ピッチャーやってて良かったなと思います」と喜びを爆発させた。

1993年オフに槙原はフリーエージェントを宣言しながら、バラを抱えて自宅を訪問した当時監督の長嶋茂雄の猛アタックもあり、残留を決めていた。記録翌日の読売新聞記者によるインタビューでは「巨人に残って、本当に良かったよね」としみじみ呟いた[3]。当日の長嶋はあえて槙原に言葉をかけず、静かに戦況を見守り、そして、完全試合を記録した槙原をベンチ前で抱擁して迎えた。

内容[編集]

槙原は5月15日の対横浜ベイスターズ戦以来中2日での登板だった。この試合は雨のために2回でノーゲームとなったものの槙原本人が「いい感じで投げられた」[5]と振り返る投球で、槙原はこの時の良いイメージを持ってマウンドに上がった。

投球内容は、振ス=空振りストライク、逃ス=見逃しストライク、フ=ファウル、ボ=ボール

1回表:13球[編集]

正田耕三(逃ス、逃ス、ボ、フ、遊飛)5球
  • 2ストライク1ボールから142km/hの速球を流し、遊撃フライに倒れた[6]
緒方孝市(逃ス、ボ、フ、逃ス)4球
  • 2ストライク1ボールから140km/hの速球で見逃し三振に倒れた[7]
野村謙二郎(振ス、振ス、ボ、振ス)4球
  • 2ストライク1ボールから144km/hの速球で空振り三振に倒れた[8]

試合前のブルペンでは体の張りもあり、球が高めに浮いて、「調子はいまひとつ」であったが、緒方、野村を速球で連続三振に切って取ったことで「まっすぐが走っている。いけるぞ」と槙原は感じたという[9]

1回裏[編集]

巨人は1回裏の攻撃で、広島先発の川口和久から落合博満が右翼フェンス直撃の二塁打を放ち先制[10]。普通の球場であればスタンドに入りそうな大飛球であったため、落合は「簡単に入らん」と福岡ドームの広さに仰天した[11]。続くヘンリー・コトーの左翼前単打で落合が巧みな走塁で生還し、更に1点を追加した[12]

2回表:12球[編集]

ルイス・メディーナ(逃ス、ボ、振ス、二飛)4球
  • 2ストライク1ボールから123km/hのスライダーをセンター方向へ返し、二塁フライに倒れた[13]
音重鎮(逃ス、ボ、フ、振ス)4球
  • 2ストライク1ボールから144km/hの速球に中途半端にバットを出し、空振り三振に倒れた[14]
金本知憲(逃ス、振ス、ボ、二ゴ)4球
  • 2ストライク1ボールから145km/hの速球を引っ張り、二塁手へのゴロに倒れた[15]

2回裏[編集]

巨人は左の川口と予想して右打者を並べたオーダーが成功。2回裏に村田真一長嶋一茂の連打の後、槙原が三遊間を抜ける安打を放ち、3点目を入れた[16]。その後に川口をリリーフした望月秀通から、松井秀喜のセンターへ弾き返す安打で2点を追加した[17]

3回表:12球[編集]

高信二(二ゴ)1球
  • 初球の125km/hのスライダーを引っ張り、二塁ゴロに倒れた[18]
西山秀二(逃ス、振ス、フ、ボ、ボ、ボ、フ、遊ゴ)8球
  • 8球粘ってフルカウントまでいったが、最後は142km/hの速球を打ち、遊撃手正面のゴロに倒れた[19]
望月秀通(振ス、振ス、一邪飛)3球
  • 2ストライク0ボールから127km/hのスライダーを軽く右方向へ返し、一塁手へのファウルフライに倒れた[20]

槙原は試合後に「三回くらいから(完全試合を)意識していた」と語っている[21]

4回表:11球[編集]

正田耕三(遊ゴ)1球
  • 初球の111km/hのカーブを逆方向へ流し、遊撃ゴロに倒れた[22]
緒方孝市(ボ、ボ、フ、フ、ボ、フ、振ス)7球
  • 3回の西山に続き、2度目の3ボールとしたが、最後は速球で空振り三振に倒れた[23]。槙原自身は最後の投球を「投げた瞬間、フォアボールだと思った」と語っている[24]
野村謙二郎(フ、ボ、三飛)3球
  • 1ストライク1ボールから143km/hの速球を流し、三塁フライに倒れた[25]

5回表:7球[編集]

ルイス・メディーナ(ボ、捕邪飛)2球
  • 0ストライク1ボールから141km/hの速球を打ち、捕手へのファウルフライに倒れた[26]
音重鎮(逃ス、フ、逃ス)3球
  • 2ストライク0ボールから126km/hのフォークで見逃し三振に倒れた[27]
金本知憲(逃ス、投ゴ)2球
  • 1ストライク0ボールから128km/hのフォークを当て、投手ゴロに倒れた[28]

金本の平凡な投手ゴロを一塁へワンバウンドの送球をした槙原はベンチに戻った時に「危ねえじゃあないか」と首脳陣に冷やかされた[3]。槙原本人は「既にこの時点で完全試合を意識していて、緊張していた」と語っている[24]

6回表:14球[編集]

小早川毅彦(フ、ボ、二ゴ)3球
  • 初球の127km/hのスライダーを芯で捉えて引っ張り、強烈なライナーとなった。小早川は「入れ」と叫んだが、ラインよりほんの数cm右にズレてファウルになった[29][30]。ただし、槙原は「初球から打ってくるというのはわかっていたから、あらかじめファウルにするためにスライダーを投げた」と語っている[24]。1ストライク1ボールから112km/hのカーブを引っ張り、二塁ゴロに倒れた[31]
西山秀二(ボ、ボ、フ、左飛)4球
  • 1ストライク2ボールから140km/hの速球を打ち、初めて打球が外野まで飛ぶが、左翼フライに倒れた[32]
御船英之(ボ、ボ、逃ス、振ス、フ、フ、一ゴ)7球
  • 2ストライク2ボールから144km/hの速球を中途半端に当て、一塁ゴロに倒れた[33]

7回表:12球[編集]

正田耕三(ボ、逃ス、逃ス、振ス)4球
  • 2ストライク1ボールから124km/hのフォークで空振り三振に倒れた[34]
緒方孝市(フ、ボ、三ゴ)3球
  • 1ストライク1ボールから127km/hのスライダーを引っ張り、三塁ゴロに倒れた[35]
野村謙二郎(フ、ボ、フ、ボ、振ス)5球
  • 2ストライク2ボールから125km/hのフォークで空振り三振に倒れた[36]

8回表:13球[編集]

ルイス・メディーナ(フ、ボ、振ス、左飛)4球
  • 2ストライク1ボールから128km/hのスライダーを打ち、左翼フライに倒れた[37]
音重鎮(ボ、ボ、逃ス、振ス、フ、二ゴ)6球
  • 2ストライク2ボールから125km/hのフォークを打ち、二塁ゴロに倒れた[38]
金本知憲(逃ス、振ス、遊ゴ)3球
  • 2ストライク0ボールから127km/hのスライダーを流し、遊撃ゴロに倒れた[39]

巨人はこの回にコトーを下げ、守備固めとして屋鋪要を中堅手に置いた[40][41]

8回裏[編集]

巨人の長い攻撃が続き、槙原のリズムが狂うのではないかと心配された。ベンチ内では誰も槙原に話し掛けようとはしなかった。西岡良洋の遊撃への併殺崩れのゴロで巨人は6点目を入れた[42]

9回表:8球[編集]

完全試合まであとアウト3つとなり、福岡ドームは異様などよめきに包まれ、巨人ファンたちは総立ちで応援していた。槙原によると「帰ってからテレビを見たが、9回表の球場の雰囲気は全然テレビからは伝わってこなかった。(完全試合達成時に)福岡ドームにいたひとはわかると思うけれども、もっと異様な、凄い雰囲気だった」と振り返っている[43]

河田雄祐(振ス、振ス、ボ、中飛)4球
  • この回が始まる前に槙原は「河田が代打起用され速球1本に的を絞るであろう」と読み、それを捕手の村田に告げた。村田は探りを入れるために「初球は変化球でどうだ」と提案したが、槙原は「まっすぐが良いコースに行けば、ヒットを打たれる気も全然しなかった。仮に変化球を打たれたら悔いが残る」として「まっすぐで行きたい」と応じ、村田は「わかった。好きにせいや」と答えた[44]。言葉通り、初球は外角の速球を空振り。2ストライク1ボールから144km/hの速球をセンター方向へ返したが、俊足の屋鋪がこの打球に追い付き、中堅フライに倒れた[45]。屋鋪は「難しい当たりが飛んできたらダイビングしてでも捕ってやろう」と思って守備に就いていたが、それが気負いにつながり「ちょっと力が入り、前に行き過ぎた」と後に語っている。ベンチでこのプレーを見ていた長嶋監督は「あれには冷やっとしましたね」と振り返った[46]
西山秀二(三ゴ)1球
  • 初球の127km/hのスライダーを引っ張り、三塁への緩いゴロになったが、長嶋一茂が普段より浅めに守っており、アウトになった[47]
御船英之(フ、ボ、一邪飛)3球
  • 1ストライク1ボールから144km/hの速球を打ち、ファウルゾーンの飛球に一塁手の落合が追い付き、完全試合を記録した[48]。最後の1球について、村田は「マキ(槙原)の好きな球を放ってくれ、それで打たれるなら仕方がない」と思っていたという[49]

試合後[編集]

試合が終了して長嶋茂雄に抱きつかれて驚いた槙原は「今度は監督を胴上げする番ですね」と語った[1]

広島の選手たちは試合が終了すると厳しい表情で足早に送迎バスに乗り込んだ。正田、緒方、金本らは「情けない」を連発し、野村は「言うことはもう何もないよ」と悔しさをにじませた[50]

スコア[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
広島 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2
巨人 2 3 0 0 0 0 0 1 X 6 8 0
  1. : 槙原(4勝1敗)  : 川口(5敗)  
  2. 審判:球審…鷲谷
  3. 試合時間:2時間14分
広島
打順守備選手
1[二]正田耕三
2[中]緒方孝市
3[遊]野村謙二郎
4[一]L.メディーナ
5[右]音重鎮
6[左]金本知憲
7[三]高信二
小早川毅彦
鈴木哲
近藤芳久
河田雄祐
8[捕]西山秀二
9[投]川口和久
望月秀通
打三御船英之
巨人
打順守備選手
1[二]緒方耕一
2[遊]川相昌弘
3[右]松井秀喜
4[一]落合博満
5[左]H.コトー
屋鋪要
6[中]左西岡良洋
7[捕]村田真一
8[三]長嶋一茂
9[投]槙原寛己

その他[編集]

  • この試合は巨人にとって、球団創設以来通算7000試合目となる試合であった。
  • この日の槙原は福岡ドームでの公式戦初登板であったが、日米野球オープン戦において2度の登板があり、合計5イニングを無安打・無得点に抑えていた。その登板を通じ、槙原は「ここ(福岡ドーム)はよほどいい当たりをされないとホームランにならない」という印象を持っていたという[51]
  • 広島は中軸の江藤智前田智徳が共に怪我で欠場していた[52]こともあり、「福岡ドームでもスタンドに入れる力をもっていた」と感じていた2人の欠場が「精神的に記録(完全試合)につながったと思う」と槙原は後に語っている[51]
  • ブルペンではキャッチャーの捕球音が響かず、最初は調子が悪いと感じていた(防音材の影響だと後で知った)。
  • 5回3アウト目の金本知憲を投ゴロに打ち取った瞬間「これで外出禁止は解除だ」という安堵感から力が抜けて一塁にワンバウンド送球をした。
  • この完全試合は、同時に人工芝グラウンド、並びにドーム球場での初の完全試合となった[53]
  • 日本プロ野球における平成唯一の完全試合である[54]
  • 試合は日本テレビ系列で全国中継されていたが、実況を担当していた山下末則は縁起担ぎのため、槙原の記録達成が近づいても「過去の完全試合のことは一切しゃべらないようにしていた。もしかすると後に批判されるかもしれないけれど、それでもいい」と思っていたという[55]。同様にラジオ日本の実況を担当していた染谷恵二も「今放送席は混乱しております。本当は言うべきではないんでしょうけれども、言わないと分からないですからね」と興奮気味に叫んでいた[56]
  • 山下末則は日本テレビを退職した後、完全試合の実況を担当していたことにちなみ、自らが立ち上げた会社に『パーフェクト・スピーチ』と命名している[57]
  • 試合後の槙原は福岡市内の各テレビ局をはしごして夜の報道情報番組に相次いで出演。ようやく床に入った時には午前4時を回っていたという[58]
  • 福岡ドームと隣接するヒルトン福岡シーホークを繋ぐペデストリアンデッキ上には、文化・スポーツ・芸術・学術など各分野で活躍した著名人の立体手形をモニュメント展示した「暖手の広場」というコーナーがあり、プロ野球関係者ではダイエー/ソフトバンクホークスの監督・選手がほとんどを占める中、同地で完全試合が達成されたことを称えて、ホークスに所属経験のない関係者で唯一槙原の暖手が展示されている。
  • 槙原は2001年の現役引退後は野球評論家TBSテレビTBSラジオ野球解説者として活動しているが[59]、キャッチフレーズは完全試合達成にちなみ「ミスター・パーフェクト」が用いられている[60]

映像作品[編集]

槙原寛己の27人の打者に対する全投球を収録した『完全試合~槙原寛己 102球の奇跡~』が1994年7月1日にVHSで販売されている[61]

また、日テレG+の番組『ジャイアンツベストセレクション』でも全投球を収録した「槙原寛己・完全試合」が不定期に複数回放送されている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b “槙原完ぺき 102球”. 読売新聞: p. 21. (1994年5月19日) 
  2. ^ 当日、今井も福岡放送の解説者として福岡ドームで記録達成の瞬間を見届けた。
  3. ^ a b c 巨人軍5000勝の記憶読売新聞社、P72~73
  4. ^ この人と飲みたい(第2、4木曜更新) : 槙原寛己(野球解説者)<後編>”. 二宮清純のスポーツコミュニケーション (2009年4月23日). 2017年9月7日閲覧。
  5. ^ 『完全試合』(北原遼三郎著、東京書籍刊、1994年)、P402
  6. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、5分8秒
  7. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、5分37秒
  8. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、6分7秒
  9. ^ 前出『完全試合』、P402-403
  10. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、6分48秒
  11. ^ “落合「簡単に入らん」”. 読売新聞: p. 21. (1994年5月19日) 
  12. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、7分4秒
  13. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、7分42秒
  14. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、8分9秒
  15. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、8分48秒
  16. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、9分35秒
  17. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、9分57秒
  18. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、10分23秒
  19. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、13分6秒
  20. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、13分31秒
  21. ^ “槙原魅せた!完全ドラマ”. 読売新聞: p. 31. (1994年5月19日) 
  22. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、13分55秒
  23. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、14分53秒
  24. ^ a b c 前出『完全試合』、P408
  25. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、15分19秒
  26. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、15分58秒
  27. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、17分2秒
  28. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、17分51秒
  29. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、18分30秒
  30. ^ “槙原、「完全」男”. 読売新聞: p. 3. (1994年5月19日) 
  31. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、19分11秒
  32. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、20分20秒
  33. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、22分24秒
  34. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、23分54秒
  35. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、24分35秒
  36. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、25分42秒
  37. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、27分24秒
  38. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、29分53秒
  39. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、31分22秒
  40. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、26分3秒
  41. ^ この出場で屋鋪は通算1500試合出場を達成した(NPB史上117人目)。
  42. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、32分26秒
  43. ^ 前出『完全試合』P410~411
  44. ^ 前出『完全試合』P398~399
  45. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、35分20秒
  46. ^ 前出『完全試合』P400~401
  47. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、36分2秒
  48. ^ 『完全試合 槙原寛己102球の奇跡』バップビデオ、37分30秒
  49. ^ 前出『完全試合』P413
  50. ^ “広島「情けない連発」”. 読売新聞: p. 21. (1994年5月19日) 
  51. ^ a b 前出『完全試合』P404~405
  52. ^ この年のセ・リーグの打率ランキングで前田が2位、江藤が3位を占め両者ともベストナインに選抜されるなどチームの中心選手となっていた。
  53. ^ 【2004年5月18日】40歳8カ月の”ビッグ・ユニット”が史上17人目の快挙!”. Sportiva (2014年5月18日). 2017年7月6日閲覧。
  54. ^ 平成ではこの他に、2007年の日本シリーズ第5戦で中日ドラゴンズ山井大介岩瀬仁紀の継投により走者を1人も出さなかった例があるが、日本プロ野球の規定では先発投手が完投しなければ完全試合とならないため、参考記録となっている。
  55. ^ 前出『完全試合』P400
  56. ^ 前出『完全試合』P401
  57. ^ 『元巨人戦実況アナが社長に伝授…スピーチの極意は「オバマになれ」』スポーツ報知 2008年4月2日付
  58. ^ 前出『完全試合』P406
  59. ^ "ミスターパーフェクト"の異名はダテじゃない!槙原寛己の凄すぎた現役時代”. BaseballCrix. 2017年7月6日閲覧。
  60. ^ プロ野球デキゴトロジー/5月18日 【1994年5月18日】巨人・槙原寛己が球史最後の完全試合?”. 週刊ベースボール (2017年5月18日). 2017年7月6日閲覧。
  61. ^ 完全試合~槙原寛己 102球の奇跡~”. Amazon.co.jp. 2015年8月2日閲覧。